大学を不要にしているのは総合職(ジェネラリスト)の存在?

「大学で教えていることなんて、会社に入ったら役に立たない。」

こういうことを言う人は多い。シューカツをしてて、説明会とか選考で喋ってた会社員の人はもちろん、大学教員も教えていることが、実際の仕事では大して役立たないことは自覚してるみたい。学生の自分も全く無駄とは言わないが、授業の内容は相当薄いと思ってる。
ってか、ブログとか読んでて仕入れる知識のほうが、いろんな人が発信してる「生の情報」が見れるから有意義かもしれない。商学部生の中で「コモディティ化」がよくわかってない人とか意外と多い。
そんな状況を汲んでか、ユニクロは学年に関係なく学生を採用しているみたいだし。
もう大学は、入学試験に受かる偏差値と、その大学の卒業証明書の2つ以外価値がないんじゃないかと思えてきた。

そんなわけで、「なんで大学教育って役に立たないのか」についてちょっと考えてみたら、もしかして「総合職」っていう概念が原因なのでは?という仮説が立った。あ、全部文系が前提です。理系は詳しく知りません。

大学の労務論の授業で、「日本の企業ではオン・ザ・ジョブ・トレーニング(入社して、教育して仕事を知ってもらう、的な)で、ジョブローテーションがあり、様々な業務に携わる。仕事に就く段階で資格が必要になることはほとんどない。」みたいなことを説明された。つまり、仕事をする上で必要なことは、全部会社が教える、というスタンスらしい。
それと反対なのは、米国に代表される、高度な業務には資格が必要で、職務ごとにきっぱりと分業されているスタイルだとも説明された。

労務論のセンセのいうことが本当なら、「大学いらね」ってなるのも当然だなと思う。だって、会社に入る上で、大学の学問とか全く必要ないんだもの。もし本当に大学を必要なものにしたいのであれば、「この業務に携わる上で必要な資格は、大学でもらってください。」みたいなことにしないと。日本の大学でそういう仕組みなのって、法学部から弁護士、検察官になるとか、医学部から医者になるとかくらいか? 米国だと、MBAみたいなのがあるから、日本よりは大学の地位は高いのだろう、よく知らないけど。

とはいっても、別にそういう風に大学(この場合は社会なのか?)を変える必要はないと思う。自分の大学生活を振り返って、思ったのは「大学生活は最後のモラトリアムのチャンスであり、自分のやりたいこととか、興味のあることを見つけて、それに徹底的に打ち込む絶好のチャンスだ」ということだ。

自分の興味関心はどういうものに向いているのかを知るってだけでも十分に意味がある。20年近くかけて自分を確立する上で、大切な、そして仕上げの4年間だと思う。

結論としては、「大学って意味ないと言われるのは当然だけど、別にそれでいいじゃん。」ってところに落ち着くのでしょうか。。。