電子書籍がイマイチ流行らない4つの理由

ついに日本でもKindleがサービス開始となった。紙の本を自炊していて、米国でのKindleの状況を何となく眺めていた自分としては、ようやく来たか!という感じだった。
ただ、自分の身の回りの人間の反応はあまり良くない。「類は友を呼ぶ」というくらいだから、電子書籍に肯定的な人がそれなりにいるものと思っていたが、全くの予想外だった。「紙」派の反発は強く、電子書籍なんてものを使おうとする人間はバカ、とでも言いたげな論調(というか感情的すぎて論ってレベルじゃない)人もいた。
そこで今回は、なぜ電子書籍が受け入れられないかについてを考えたい。本記事では著作権とかそういう面倒くさい理由を考察するのではなく、音楽の電子化に成功した「iPod」との比較から、電子書籍不人気の原因を探っていきたいと思う。

1,電子書籍はクールじゃない
iPodは、たくさんの音楽を小さな機器にすべて入れることができる、というウリがあった。CDやMDに曲が大して入らなくて困っていた人たちが、「合理的な選択」でもってiPodを選ぶということはもちろんあっただろう。しかし、それ以上にCMやデザインのカッコよさが相まって、「イケてるiPodを使いたい」、「みんなに自慢したい」というような、「所有することで得られる喜びや優越感」といったものがあった。つまり、iPodは利便性と同等以上に、ファッションとしての価値が高かった。だからみんなこぞってiPodを買っていったし、結果として音楽はCD、MDの時代から電子の時代へとシフトしていったのだろう。
では、電子書籍リーダーはどうか。Kindlekoboといったリーダーを持っていることは、果たして「カッコいい」ことなのだろうか。あぁ、アーリーアダプター層の中ではカッコいいのかもしれない、うん。ちなみに、Kindleスマホタブレットでも読める。iPhoneiPadは持っていて「カッコいい」ものであるのかもしれないが、それらの端末で本を読んでいても、一目見て何をしているのかはわからない。「iPadで本読んでる、カッコいい!」とはなかなかならないのである。
まとめよう。電子書籍は、使うことそれ自体を「ファッション」化してカッコいいものにできていないので、iPodの成功と比べると、なかなか普及していかないということだ。

2,既に持っているコレクションを再利用できない
iPodがいち早く普及していった理由の一つに、「CDの電子化が簡単」というのがあると思う。普段パソコンなんて使っていなかった人でも、iTunesを何とかダウンロードしてきてそれを起動し、ディスクドライブにお気に入りのCDを入れてしまえば、あとは勝手にリッピングしてくれる。そのあとはiPodとパソコンを、付属のケーブルで繋ぐだけで音楽が転送されるのである。この簡単さは多少の機械オンチな人に対して「自分にでもできた!」という快感を与えたことだろう。それ程にハードルが低く、幅広い人を取り込めたのだ。そしてリッピングしたCDは、元の置いてあった棚に戻せばいい。
しかし、電子書籍はCDに比べると電子化のハードルが恐ろしく高い。まず、主流の電子化の方法が、本を裁断し、スキャナで読み込む、という形式なので、電子化した本は、もうまともに読むことができなくなってしまうという大きなデメリットを抱えている。さらに、手間も異常にかかる。本を綴じている部分を「まっすぐに」裁断し、スキャナに数十枚の「本の一部」をセットする。それを「ほぼ付きっきりで」何回か繰り返したら、今度はスキャンデータを、裏写りの除去や文字の色の調整、リサイズ等を(フリー)ソフトを使って「見栄えを綺麗に」する。機器やソフトの調達、そして実際に電子化に費やす時間と結果としての本の破壊を考えれば、普通の人は絶対にやらない。音楽でたとえるならば、「iPodで聴けるのはiTunesMusicStoreで買ったデータだけです」という状態でスタートしているようなものなのだ。

3,電子書籍にはそれを使う利便性が大してない
iPodはすべての音楽データが持ち歩けることをウリにしていると1つ目の理由で述べた。音楽は1曲が3~5分と短く、アルバムでもせいぜい1時間といったところだ。特に「あのアーティストのあの曲」というように、1曲ずつ聴きたい場合には、iPodは非常に役に立つ。また、「ながら聴き」が簡単(しかし危険)にできるので、外に出ている時間が長い人ほど、たくさんの曲が入っていることによるメリットは大きくなる。
一方、たくさんの本を持ち歩くことには、一体どんなメリットがあるのだろう。いわゆる「本の虫」は別として、一般的な人は1冊をカバンに入れて(あるいは1冊も入れずに!)出かけることがほとんどだろう。しかも、その本は1日中外にいても読み切らないことが多い。「ながら読み」は難しいし(そして「ながら聴き」よりはるかに危険)、1冊の文庫本は平均して1,2時間では読み終わらない。統計等を根拠にしているわけではないので、時間は適当だが、外出して、1冊読み終えて帰宅する人は圧倒的に少数派であろう。つまり、何冊も端末に入ったところで意味が無い。また、電子書籍のメリットである検索の容易さも、学術研究やブログ執筆等では大いに役に立つが、日常の読書で「電子であることのメリット」は生かせない(検索の容易さが概して無意味であることは「紙」派から指摘を受けた)。

4,読書体験はアニミズムに支配されやすい
この理由は上記の3つに比べると、論理に乏しく、書こうか迷ったが、書かないとモヤモヤしそうなので、ここは生暖かく見守って下さい。
音楽を聴くという行為は、かつてはレコードのホコリを取り、機器にセットして針を落とす、CDでもステレオ(死語)にディスクを入れるという瞬間、すなわち音楽を聴く準備段階で音楽のメディアに触れるものの、実際に音楽を聞いている瞬間は、レコードやディスクといった「物質」のことを意識していない。音楽はスピーカーやヘッドホンから流れてくる音が全てであり、メディアがレコードでもCDでもiPodでも、それは目に見えないが、誰もが空気の振動だとわかっているものである。
翻って、読書というのは、歴史上ずっと(朗読を聞くという形態もあったそうだが)紙の本にずっと触れて、紙という物質に書かれた文字を読むことであった。音楽とは異なり、その体験の間はずっとメディアである物質(紙)と深く関わっているのである。なので、「本を読む」といった時に、「書かれている情報をインプットする」という本質に加えて、「紙に触れ、それをめくる行為」もそこに自然と含まれているのではないか、と思うのである。また、日本はアニミズムの国であるという。そうであるのならば、音楽以上に物質に触れる時間の長い読書は、アニミズムに支配されやすく、紙の本が支持されているのではないか、と思った。
個人的にはアニミズム(物神教?)のもとである「アニマ(霊)」を同じく起源を持つ「アニメーション」が大きな産業となっていたり、日本の伝統的な世界観である、「八百万の神」の中に、物質にも宿るという「付喪神」という神がいることが何よりの証拠であると思う。さらに紙(かみ)と神(かみ)が同じ音であることから、読書という行為と通じて「紙に触れる」ことが、「神に触れる」、そして「神との対話」を連想させ、アニミズムの傾向はより強まっているのではないかという考えに至った。

以上のように、4つ目はだいぶアレな論の展開になったが、使う側の視点で、音楽の電子化に成功したiPodと比較することによって、なぜ電子書籍は流行らないのか、という理由について論じてきた。もちろん、電子書籍iPodとは全く異なる観点から、爆発的に普及することはあるだろう。
というか、個人的にはさっさとすべての紙の本は、電子版も選べるようになってほしいと願っている。誰がなんと言おうと、自分は非物質である電子書籍がいい。家の本棚に本をずらっと並べて満足感を得るよりは、モノを減らしてコンパクトに部屋をまとめたいと思っているからだ。まあ、「紙」派から反発を受けるのは、そういった個人的な理由を全面に押し出しているからなのかもしれない。

最後に、たとえ電子書籍が主流になっても紙の本は絶対に消えないし、消す必要もない。紙は紙で素晴らしい読書体験を提供してくれるはずだ、と信じている。
大事なのは、個人の価値観によって選べる自由がそこにあることなのだ。

アニミズムに関する参考書目↓

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))