スマホが大型化するワケ

今年はスマホ以上、タブレット未満な液晶サイズの「ファブレット」がブレイクしそうだ。次期iPhoneもどうやら大型化するらしい。iPhone6は液晶サイズが4インチ後半と5インチ台の2モデル発売するという噂で持ちきりだ。
何故今ファブレット?まだ大型化するの?と思っていたが、なんというか、必然の流れかもしれないな〜という結論に至ったのでつらつらと書く。

そもそも、今日販売されているスマホの、デファクトスタンダードであるiPhoneが発売されるまでは、スマホといえば「BlackBerry」のようなqwerty配列の物理キーボードを搭載したものが主流だった。スマホはビジネスユースが中心で、個人で利用している人は、ガジェットマニアくらいだった。そんな中、iPhoneは物理キーボードの代わりに大型のタッチパネルを搭載し、直感的な操作で、どこでもインターネットにアクセスできるモバイル端末として売り出された。その結果、ビジネスとは無縁のユーザーにもスマホは普及し、いつでもどこでもネットにアクセスできる時代が始まった。

しかし、タッチパネルを搭載してより直感的にネットを楽しめる、というアイデアで最初に試作されたデバイスは、実はiPhoneではなくiPadだった。もともとiPadのプロトタイプ的な端末の開発が進められていたが、当時、ジョブズが満足できるスペックを実現できなかった(バッテリーの持ちやプロセッサの性能が悪く、分厚くなってしまう)。それにPCが全盛の頃にいきなり板状のデバイスを出したところで、誰もどうやって使えばいいかがわからない。あまりに唐突過ぎて誰もついてこない。
アップルとしては、タッチ操作でインターネットを楽しむという感覚を、何とかして理解してもらう必要があった。
そこでアップルは、みんなが当たり前に持ってるデバイスだった、ケータイに着目した。すでに世の中に浸透しているデバイスに付加価値をつけることで、当時の人々の感覚と、アップルが理想とするインターフェイスのギャップを埋めようとした。
つまり、PCからポストPCのデバイスであるiPadへの橋渡しとして、iPhoneが開発されることになったということだ。
今日のスマホタブレットはこのような経緯で生まれた。

「タッチ操作で、いつでもどこでもネットにアクセス」というコンセプトが世の中に受け入れられるようになると、もはや昔の「携帯電話」の形を借りる必要がなくなる。「ケータイ+α=スマホ」から、「スマホスマホ」という風に認識が変わる。しかもSNSが普及したお陰で、音声通話の利用頻度は激減している。しかも、スマホは携帯電話の延長線に存在する端末なので携帯を機種変更する際にスマホへと移行はできる。

一方タブレットは全くの新規で、PCやスマホにプラスして買う必要がある。でも、たくさんデバイスを持つと、かさばるし、乱雑だし、お金かかるし、テザリング面倒いし... タブレットの購入は、ヘビーユーザー以外にとってハードルが高い。

だから、スマホみたくLTE通信がデフォルトで、一応電話ができて、でもタブレットみたいな快適なブラウジングができて... みたいないいとこ取りをしてみようとした結果、誕生したのがファブレットだ。
ファブレットは、スマホが携帯電話の殻を破って、「通信デバイス」としての側面が最大限に強調されたものであると、私は考えている。iPhoneiPad両方持ってる私でも、タブレットの絶対的な魅力といえば、画面大きい=手書きメモが超優秀、電子書籍(特に漫画)閲覧に最適、フルサイズのサイト閲覧に便利ってくらいしか挙げれない。最早インターネットと、サービス全般がスマホを前提として作られてきているので、タブレット・PCでなくても大して不便には感じない。

ただ、ファブレットや大型スマホでビミョーなのが、画面でかい≠表示領域広いになりがちなところ。つまり、画面の大きさの分だけ、ただコンテンツを拡大しただけになっている。そこが残念。4インチのiPhoneと5インチのNexus5の比較動画をYouTubeでみるとそれがよく分かる。動画や画像中心の最近のアプリやネットだと特に顕著なのが余計に残念。

正直、終わりの見えない大型化競争は、音楽業界の音圧競争みたいで嫌気が差しているんだけどね。どっちも生産者様のご都合が丸見えで、本質を見失ってるような気がするし。

フルサイズiPadを家で愛用してる私も、次はミニをあえて買おうと思ってます(冒険してKindle Fireっていう案も)。
これでファブレットがユーザーにウケなかったら、俺マジピエロだね。

iPhoneiPadの開発に関しては、スティーブ・ジョブズの伝記を参照。記憶違いがあるかも...