承認欲求? 確かにその議論は間違ってないけど、それが全てみたいに言わないでよ。

最近、私の最も敬愛するブロガー2人の間で、承認欲求に関する話題が熱い。

なぜ承認欲求と自己愛が問題になるのか? - デマこいてんじゃねえ!
http://d.hatena.ne.jp/Rootport/20140105/1388933903

承認欲求そのものを叩いている人は「残念」 - シロクマの屑籠
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20140109/p1

だが、ふと思ったけど、ネットには個人の承認欲求だけが渦巻いているってわけでもないでしょ?

インターネットの大前提は、善意と、データベースの蓄積だと思ってる。
行き過ぎた行動や議論に歯止めをかけたり、逆にムーブメント的な事を起こしたり、、、それって全部個人の欲求で片付けていいものなのだろうか?
ネットに上がった無数のコンテンツが、反応しあって、全く新しいオリジナルが出てくることだってある。まさにジョブズが言っていた「connecting dots」だ。まるで無数の星の間に線を結び、星座を作り出して、ストーリーを語るがごとく!(ドヤ顔)
だから、ネットに何かを残す行為は、それ自体が個人のエゴをはるかに超えた価値を有するものだと、私は信じている。

承認欲求そのものに対する「批判の批判」、それは正しい事だと思う。それこそ、ここで言っているところの、個人のエゴを越えた議論を産んでいる。
「〜する誰か」の存在そのものを否定し、ネット上に〜してはいけないという、暗黙のルールを積み上げていくのは良くない(あれ、矛盾してる?)。よくわからない形式的なルールばかりができると、ネットそのものがオワコン化するか、新しい世代に駆逐されるかしか未来がなさそうなのだけれど。

と、ここまで書いて、承認欲求関係の話題の起点が「〜してみた」に代表される、の同人系創作であること、承認欲求批判への反動から生まれたものであること、私の敬愛するブロガー2人だって、エゴを超えた何かがネットに存在していることだって、当たり前のように知っていてこういう議論を起こしているんだろうなーとか思い至って、このエントリは着陸失敗です。

あー。