嫌ルーチンワーク的なものに対する違和感

前回に続き、シューカツしてた生の視点から感じたことについて

シューカツしてるといろんな人に出会う。説明会とか面接の待合席で座席が隣同士だったり、グループワーク、グループディスカッションで同じチームだったり。せっかくの機会なので色々と話しかけてみるんだけど、まあ大抵はホントにどうでもいい話にしかならない。たまにすごく面白い人に出会えるし、それはすごく刺激的だったけど。

そんなとりとめもない会話の中で、よく話題に上がって、そのたびに引っかかっていたのが、「面白い仕事がしたい」とか「ルーチンワークばかりの仕事は嫌だ」みたいな事を言ってる、「毎日が刺激にあふれた社会人生活」を夢見ている人が多いことだ。

なんで自分が嫌ルーチンワークな発言に疑問を感じたか考えたら、答えはすごく簡単だった。それはギターだ。
自分の生活の中心にはギターがあって、ずっと、それもできる限り長い時間ギター弾いて、音楽をやっていられるように時間管理をしている。

生きていくにはお金を稼がないといけないし、家事とかもしないと生活が成り立たない。そういう制約の中で、どう自分のやりたいことをするための時間を確保してエネルギーを注ぐかってあれこれ考えた結果、「1日でこれだけやりたいこと以外の活動が必要」っていうのをリストアップしたら、あとはタイムスケジュール的なものを作ったり、より効率的なタスク処理法を模索すれば、やりたいことの時間を最大限確保できるから、そのとおりに毎日規則正しく生活するのが一番いいって、大学生活で気付いたからだ。
本当に大切な活動以外にはできる限りエネルギーを使わないように体系化する。それらは1日のやることを徹底的にルーチン化、効率化することだから、嫌ルーチンワーク的な考えに疑問を感じたんだろう。

就活中に某大手コンサル会社の人と話す機会があって、その人がすごく面白いことを言っていた。曰く、日常業務もこなせない(能力がない)人間が特殊な能力を渇望しているのを見ると腹が立つ。馬鹿なのか?と。

そんな話を聞いたこともあって、嫌ルーチンワークな人って「なにか面白いものをよこせ!」と言ってるデカダンな人なんじゃねえの?とか思った。カラッポで、常に刺激を求めている(与えてもらおうとしている)人。そういう人が社会人になって仕事のつまらなさに絶望してすぐにやめちゃうんじゃね?これはただの悪口か…

今ちょっと後悔しているのは、そういった嫌ルーチンワークな人に、やりたいこととかライフワークみたいなものは何か、面白い仕事って例えば何か、ルーチンワークってどんなことを想像してるか聞かなかったことだ。彼らはちゃんとした答えを用意していたのだろうか。

まあ、結局のところ、日々の地道な積み重ねが大事って所に落ち着くんですかね。