シューカツ(してた)生が語る「魔法少女まどか☆マギカ」

社会人になるって言うことを強烈に意識しながらまどマギを見ると、こういうふうにも解釈できるんです。

一番印象に残ったのは「魔法少女」という存在の設定だ。まどマギの世界の中では、魔法少女は視聴者からすれば華やかでも憧れるような存在ではない。この作品において魔法少女っていうのは、所詮は社会のシステムを維持するための「歯車」にすぎないってことだ。

以下、しばらく作品のストーリー分析。めんどかったらまとめにとんで下さい。

作品内で魔法少女は、実はただの歯車でしか無くて、辛くて厳しい世界で生きているっていうこと。歯車をちゃんと回すために派遣されたエージェントがキュウべえだ。QBは甘い言葉で主人公たちを魔法少女にしようとする。マミさんも1人じゃ寂しいんで、カッコいい姿を見せてそっちの世界に引き込もうとする。結局マミさんの死が、まどかとさやかの「魔法少女ってカッコいい」っていう幻想を破壊して、厳しさをつきつけたわけだが。

その後、厳しさを知ってもさやかは好きな男の子のために魔法少女になる。誰かのためにっていう大義名分のもとで、感謝されたい、自分を見て欲しいっていう自分のエゴを満たしたいだけだったのに、そういう醜い自分とは向きあおうとはしない。あくまで「利他的な自分」を演出して自分を騙す。その結果、さやかは自分を見失って、心が壊れて魔女になる。要は敗北者だ。

杏子はさやかと同じように他人のために魔法少女になって、それが仇となって全てを失った、っていう境遇にある。さやかと違うのは、自分を壊さないように心を閉ざしていた点か。でも、さやかに出会って、シンパシーを感じて、「さやかを救う」っていう大義名分のもとに一緒に消滅することで魔法少女から解放されたかったんじゃないかな~とか思ったり。杏子もさやかと同じで、先行していたのはエゴってこと。

そして、ほむらはまどかを死なせたくないっていう、これまた利他的な願いで魔法少女になる。でもほむらの場合は、願いにエゴが感じられない。願いを叶えるための手段として、一定の期間内を何度も行き来することになる。キュウべえがまどかを魔法少女にするのを阻止すれば、まどかはワルプルギスの夜で死なず、願いは叶うと信じて行動し続けるが、それが結果的にはまどかの魔力を強めただけだと知って絶望し、心が折れかかる。

最終話でそんなほむらの前に、まどかが現れる。散々キュウべえに「僕と契約して(ry」とか、ほむらに「魔法少女になるな」的なことを言われ続けて、自分はどうしたらいいんだろうって悩み続ける。マミさん、さやか、杏子を見てきて、ほむらの独白(あそこの千和さんの演技はすごかったね)、ワルプルギスの夜が迫っていることなんかを通じて、最後に一発逆転の願いで魔法少女になることを決意する。その結果、世界の法則を変えて、まどかはそれ(法則、劇中で言う概念)そのものとなったわけだ。もはや神じゃん。

まとめ。もっと就活生に当てはめて、順に解釈していくと…
社会人になることに淡い期待を寄せて、既に活躍している人の姿とか見て、カッコいいとか幻想抱いちゃって、騙されて自ら進んで歯車になりたがる。ホントはその世界は厳しいのにもかかわらず。相手の真意とか考えないんだね。

大した信念もなく、目先のエゴで行動しているのに、エゴに目を背けて、「自分は社会のために動いているんだ」とか偽善も甚だしいこと言い出す人はそう遠くない未来に失敗する。何がしたいのかもわからなくなって、「社畜」に成り下がる。居酒屋とかで会社や上司の悪口を言うだけの人間になっちゃう。

一人で誰かのために奮闘していても何も変わらないけど、同じような信念を持った人が集まれば、お互いの力が相乗効果を生んで、一人では到底実現できなかったこともできるようになる。ほむほむの願いがまどかの魔力を増大させていって、そのおかげでまどかは世界を変えるような願いを叶えることが出来たわけだ。利他的な目的を持つ人の願いが重なって解決の糸口が見つかる、的な。
ワルプルギスの夜は、ある日突然やってくるどうしようもないほどの脅威、変化を強いるもののメタファーで、なにもしないでいると、ただ破壊しつくされるだけ、それを打破するには大きな変化をこちら側から起こしていかないといけない、ってことなのかも。
まどか自身が概念になるっていうのは、まどかが大きな脅威を乗り越えられるような新しい価値観やシステムの提唱者になるっていうことなんじゃないかな。問題を解決できるような人間として描かれてるような。

そんなわけで、まどマギが視聴者に伝えたかったメッセージは、「これから社会に出ていく若者たちよ、システムに利用されるな!世界を変えるような価値観、パラダイム、仕組みを生み出せ!」ってところか。
確かに、産業とか、社会のシステムとかは現状維持してもジリ貧になることがわかりきっているものとかあるね。
「それらが崩壊する前に、問題解決しうるアイデアを提示できるような人間になれよ。そのためには志が同じ人と協力しないとね」みたいな。今はネットがあるから、世界中にある問題が何であるか探したり、いろんな人と交流することが容易になっている。そんな中でシステムに取り込まれているだけなんて、カッコ悪いね。
色々探せば自分が解決したい問題と、同じような事考えてる人は見つかるでしょ?

余談。
抽象的でいろんな風に解釈できる作品っていいよね。いろんな人が思い思いの理解(誤解)と共感を得られるからこそ、多くの人に受け入れられているんだろうなあ。

そういえば放送終わってからもう1年経ってるのか… 既に同じようなこと書いてる人もいそうだなあ。