未来は希望に満ちている、はずだった。あるいは、つまらない大人はなぜつまらないのか。

(大人にとって)未来は常に悲観的なものであると思う。

子どもの頃は、知識や経験といったものがまるで無い。何が正しくて、何が間違っているかを判断するためのベースが存在していない状態である。だから、その時に受け取った情報を正しいものとして吸収して、人格を形成していく。
子どもは好奇心旺盛で、何でも興味を示す。それは、自分を形成するためのパーツを集めているからだ。それ故に、未来や、未知のものに不安を感じにくい。

しかし、大人になるとそうはいかない。積み上げた知識・経験・功績・習慣… そういったものが大人になると多分に形成されている。そうなると、時代が変化していくことや、自分の知らないことに対して恐怖を感じるようになる。それは「私の中の正しい世界」が否定されて行くように感じているからだろう。

私にとってのそれは、ソーシャルネットだったり、コンテンツの、(収益面での)チープ化・先細り感だったりする。
創作活動なんて、ただの道楽(暇つぶし)にしかならないのでは? みたいな懸念がある。音楽に関して言えば、音の質感がフォーマットの観点でも、ミックスの観点でも、相変わらず劣化の一途を辿っている。非可逆圧縮が主流になり、低音スカスカ、高音キンキンな曲ばかりが量産されている。耳が痛くなる。これじゃあ音楽じゃなくて「音苦」じゃねえか!

んで、そんな「汚れちまった悲しみに」暮れていて、あぁ、つまらない大人になってしまったなあとしみじみ思った。
新しいものにアレルギー反応を示し、愚痴っぽくなって、惰性で生活しがちになる。「私の中の正しい世界」をこれ以上いじろうなんて思わなくなる。だからつまらない大人はつまらないんだなぁ、と実感した。
いや、これでも一応新しいアニメや声優はキャッチアップしているし、ジャズの掘り下げが終わったら、ボカロを聴き漁ってみようとは思っているんですよ? 新しいガジェットやテクノロジーも相変わらず好きだし。それでも守りに入っている自分を、最近になって強烈に意識してしまうようになった。

最早自分は物語の主人公じゃないことに気づいてしまった。そんなこんなで、若い世代のためにシステムを維持するだけの歯車、「つまらない大人」の側に、私はふと、シンパシーを感じてしまったのであった。