突っ込むべきは通ぶってる痛々しさじゃないかなあ ー相手を「にわか」と馬鹿にする風潮についてー

私の尊敬する、Rootport氏が興味深い記事を書いていた。

自分の好きなものを相手にも好きになってもらう方法
http://d.hatena.ne.jp/Rootport/20140413/1397385428

この記事は「にわかアニメオタクの友人に合わせて、有名なアニメを好きだと言ったところ、逆ににわか扱いされて腹がたった」という趣旨のツイートをきっかけに書かれている。
Roopport氏はこのツイートに対して、「好きなモノを好きって言えないのはおかしい。自分の好きなものを適切にプレゼンできることが大事」という方向で論を展開していた。

私もそのツイートには違和感を感じた。しかし、Rootport氏とは異なる点に対してだ。

相手に応じて返答を変えたり、あまり害のなさそうなウソで場を取り繕うのって別に変なことじゃない。なぜなら、相手がちゃんとロジカルにもの考え、自分と違う価値観を許容しているということを前提にしない方がいいからだ。「こいつには何言っても無駄」という見限りだって必要だ。自分の好きなものをダシにして、理不尽な暴力に晒された場合、暴力を受けることと、好きなモノを好きでいられなくなるという二重の辛さに直面するハメになる。「アニメを見てる奴は気持ち悪いので、いじめて殺して良い」と思っているやつを説き伏せるくらいなら、私は素直に諦める。私にだってどうしても許容できない事があるから、自分の趣味を絶対に認めない奴がいるのも理解できる。

さて、私がおかしいと感じたのは素直に好きって言えないことではない。違和感を感じたのは、「にわか」という記号で相手を見下していることである。しかも、この場合はお互いが見下し合っている。

どんな趣味でも、ある程度凝り始めると、趣味の楽しみ自体よりも他のやつよりも俺のほうが詳しい、俺のほうがもっとマニアックなことまで知ってるぜ、みたいなマイナー主義に陥りがちな人は必ずいる。視点が「趣味として楽しんでるもの」から「お前よりも詳しい俺」にシフトしてしまっている。それ故に「にわか」という言葉が登場する。私が感じた違和感の正体はこれだ。

化物語が好き、と相手が言ったのなら、化物語の魅力を語り合えばいい。steins;gateが好き、と相手が言ったのなら、「それってどういうアニメ?見てないんだけど...」と言い、相手はその魅力をプレゼンすればいい。ただそれだけの話のはずだ。相手より優位に立ちたいという思いが強すぎるから間違えるのである。

アニメが好きで、話が通じる友人がいるのに、なぜ楽しみの共有ではなく、相手を見下しているのか。それは、アニメを利用して、他人に優越感を感じたいだけなのではないか? それは本当に「アニメオタク」と呼べるものなのだろうか?
私は「魔法少女まどか☆マギカ」のTV放送が終わった後、友人と物語やキャラクター、終いには中の人に至るまでを、酒を片手に一晩中語り明かした時の楽しさを、今でも覚えている。

大事なのは「趣味」であって、誰が偉いか、凄いかではない。「にわか」という言葉で相手を見下すのはおかしなことだ。
私は手前のプライドではなくて、面白いアニメを見たい、語りたい、そう思ったのでした。

反論というよりは、別の方向に論を展開させた格好になりました。